当局は「犯罪捜査の必要上」を盾に、実際的な情報開示を拒絶している。
したがって初めにお断りしておかなければならないのは、われわれの調査は乏しい手掛かりをもとに、事実の断片を組み上げながら全体像を把握してきたものであり、なかには誤認もあるかもしれないということである。

しかし、秘密に閉ざされた権力機関に対し、確信や裏付けがなければ何も言えないというのでは、結局誰も権力チェックができないということになってしまう。これでは民主主義・自由主義は崩壊してしまう。われわれは知り得たことを提示するが、それが実際と異なるならばそのことを国民に説明する義務が当局にはあるはずだ。

当局が国民を敵視し、説明をしないならば、われわれは出来る限り多くの断片を皆様のご協力のもとに集め、根気よくNシステム真実の全体像により一層近づいていこうと考えている。

Nシステム誕生の経緯

警察庁がNシステムの開発をスタートさせたのは、1981年(昭和56年)。車のナンバーを自動的に読み取ろうというからには、背景にそうせざるを得ない社会状況の変化があった。

それは、公式発表としては、2つ示されている。1つは車を使った凶悪犯罪の増加、2つには車の盗難事件の激増である。クルマと犯罪がワンセットになったクルマ社会先進国現象が我が国を襲い始めたのだ。これに人的警察力のみで対応するのは確かに大変であり、検問を強化する方向では交通渋滞と市民・ドライバーの反発を招き、その効果の程もじり貧となるのは目に見えていた。

時の科学警察研究所交通部部長 岡本博之氏は、あの『オービスV』という自動速度取締機(昭和49年導入)に気を良くしたのか、類似の発想で「手配車両自動発見装置」開発に踏み出した。
氏自ら研究開発委員長となり、多くの企業の協力を得て5年近い歳月をへて『Nシステム』の完成にこぎつけた。

このことは1986年(昭和61年)1月の新聞等に華々しく紹介され“科学警察の躍進"を印象付けるものとなったのである。なにしろNシステムの下を手配車両が通過するや、テレビカメラに連結されたコンピュータがその車のナンバーを読み取り数秒後にはもう交番や検問中の警察官の携帯端末に通過を知らせてくれる、というのだ。コンピュータは夜も日もなく働いて悪い奴のクルマを即座に発見してくれる、結構ずくめのこのシステム、当時のメディアは何の疑問も抱かずに歓迎した。なにしろ悪い奴は単純に悪いヤツなのだ。窃盗犯だったり、グリコ・森永事件犯人だったり…当時は現在のように誰もがパソコンをいじる時代ではまだなかった。マスコミといえども「データベース」とか「検索」とかの知識に乏しかったのはやむを得なかったかもしれない。あたかもCCDカメラ(当時は単にテレビカメラといわれた)から入るイメージ情報(画像情報)は、手配車両だけのものと単純に思い込んだに違いない。良く考えれば「見る・発見する」ということは、すべてを見て、その中から特定するのだということに気が付くはずであるが…

さらに今ならば、入力情報は如何様にでも加工でき、必要情報を格納しデーターベースとして保存活用できるということは、ビジネスパーソンならだれでも知っていることだ。だが、当時は問題にされなかった。あたかも悪い奴の車だけが見えて、その隣を走る自分と恋人の車はテレビカメラの受光素子に写らなくて当然と思い込んでいたとしか思えない。ましてや、データーベース化なんて一般国民は考えもしなかったろう。

わたしたちがメーカーの開発エンジニアを同罪とするのは、このようなコンピュータ監視システムの発展性と応用性を誰よりも分かっていたのは日本を代表するエレクトロニクスメーカーの彼らであるからだ。“ビッグブラザー"のお手伝いをしている自覚は明瞭にあったはずだ。

Nシステムのもう一つの使命

この1986年の発表は、しかしながら、どことなく歯切れの悪いものではあった。警察当局の悪い癖で何か都合が悪くなると「捜査に支障をきたす。犯罪者を利する」とか言い逃れする傾向が昔も今もある。当局にしてみればそれには確たる理由があった。Nシステムには「広域化・機動化する犯罪の予防と検挙効率の向上」という表の顔と、もう一つの隠された顔があった。

公安である。

どこの国でもそうであるが、公安とか防諜活動は行為そのものに違法性を含まざるを得ない。

何しろ「犯人」が生じてからでは遅いのだ。まだ何にもしていない人物といえども、何かをする恐れがあれば徹底してマークする。公安/防諜には人権もへったくれもない。キワドイではすまされない。法に基づく公務員といえども自由や人権に関し法を犯さざるを得ない。だから先進国ではそういった行動の必要性を認めたうえで法で特別に規制する。建前と本音が著しく乖離するのが我が日本の悪弊である。電話盗聴がばれたら「ばか、ドジ、間抜け、ど素人」とののしられ、ドジを踏んだ者は切り捨てられ組織が守られる。

昭和50年代,山田警察庁長官のビジョン

Nシステム開発に着手した昭和56年前後の数年間の社会情勢を振り返ってみよう。

1977年(昭和52年)の5月には成田闘争の衝突で死者、9月には日航機ハイジャック、翌78年にも成田で大衝突が繰り返され、5月にはようやく成田空港海港。警察は総力をあげて過激派対策に追われていた時期だ。

過激派の盗難車を使ったロケット攻撃などはその後も続く。

1986年(昭和61年)4月天皇在位60年式典、続いて5月東京サミットでの大警備陣。特に中核派の爆発物発射ゲリラには警備当局は深刻な危惧をもっていた。

この年、昭和61年はNシステムが完成した年でもあるが、当時の警察庁長官山田英雄氏は文藝春秋誌上(昭和61年7月号)『東京サミット大江戸警備日記』で、大半を過激派対策の記述に費やし、さらに次のように記している。

「特に警察運営の科学化、ハイテクノロジーの導入は急務である。只今でも、盗聴・妨害されないデジタル無線、指紋のコンピューター照合、パトカーへのコンピューター端末の搭載、自動車番号の自動読み取りシステムなどの科学技術導入は図られているが、今後とも若い人達が、この方面の仕事をどしどし進めていって欲しいと思う」

山田長官は就任にあたって警察当面の課題として警察の科学化の推進を筆頭に挙げている。若い人ではなかったけれども、くだんの岡本博之氏は長官の期待に応えた訳だ。

同誌上で山田長官はハイテク・メーカーにも謝意を述べている。

「午後五時から社団法人・日本防犯設備協会の設立披露パーティーに出席し祝辞を述べる。ハイテク時代に於いて、各種防犯機器・防犯システムの高度技術化に関連する企業も多くなってきているが、この度、大同団結されて、『信頼性の高い防犯設備の普及啓蒙を図り、国民生活の安全を図るための活動』が展開されることになったことには、誠に力強いものがある。」

この自筆記事は、ハイテク指向と、核ジャック対策を含む過激派ゲリラ対策が、いかに当時の警察当局の重要課題であったかを良く伝えている。今回の全国調査でもそういった伝統・経緯を踏まえた公安/警備のからみを推測しうる配備状況が良く分かった。当時も、警察は国民を信頼していなかった。もし、その時点で情報を正しく公開し、コストを抑える公安・警備のためにこういった監視ネットワークを作らざるを得ない、人権侵害の恐れもあるからこういった法律を作り濫用の防止と一般の国民の迷惑を最小限に抑えたい、と堂々とアピールする勇気と自己抑制があったら、立派であったろうに。

オウム捜査とNシステム

95年初め、いわゆるオウム騒ぎが起って、国民の関心が集中した。上九一色村の本拠地に強制捜査が入ったあと、多くの信者が幹部の指示により、重要文書類などを持って全国に散ったことは記憶に新しいが、その追跡・捜索にも活躍したのがNシステムである。

中でも滋賀県警による検問で捕えられた幹部の持っていた「光ディスク」にはオウムの重要情報が満載されており、のちの捜査に大きく貢献したと言われる。すでに、上九から滋賀までのルートは、よほど注意していてもどこかで必ずNシステムにキャッチされる体制が完成していたのだ。

高速道路を使おうとするなら、50〜100キロメートルごとに設けられているNシステムを避けるために、高速道を降りる必要がある。『Nシステム・マップ』など存在しないので、一般道を行く場合にしても、いつどこでNシステムや同様の仕組みを持った『旅行時間計測システム』に出会うか知れない。両者は実際には別名称の同一システムと考えて間違いではない。

オウム車輛もこのクモの巣からは逃げ切れなかったわけである。仮谷さん事件で追われ、長期間逃げまわっていた松本容疑者の足どりも、ずっと公安警察にキャッチされており、実は泳がされていたことがのちに明らかになった。そもそも彼がわざわざ石川県に飛び、整形手術を受け潜行を始めたのは、オウムが言葉巧みに乗っとったといわれる町工場が、石川県南部の寺井町にあり、土地カンがあったためといわれている。ところがすでに、寺井町をはさむような2本の道路に「高速走行抑止システム」(本質はNシステムと同じ装置を使用)が設置されており、また近くの国道8号線上にもNシステムが95年には新設されていたのだ。このような泳がせ策は公安警察の得意とするところではあるが、オウム事件によってNシステムはホシをマークしつつ泳がせるのにも大変有効な武器となることが内外に実証された。

Nシステム大増設。
ただし、重大な部分は伏せられたまま。

これらの戦果を楯に、95年夏、警察は補正予算でおよそ190億円という巨額のNシステム導入費用を獲得した。ただし、Nシステムは移動中の全車両を監視・記録するものという違法な側面は巧妙に伏せられたままであった。一部の政治家はこれに気づき当局を問いただしたが、当局は平身低頭するばかりで明確には答えなかったと伝えられている。オウムをバネにお墨付きをえた当局はすぐさま、全国的にNシステムの大増設を始める。まるで用意万端整っていたかのようなスピードであった。秋に入りその勢いは凄まじく、多くのドライバーがこのヘンな装置に注意をひかれた。マスコミも関心を示し、警察庁などにこの機械のことを取材しようとしたが、殆どは「ノーコメント」または「警告」を受け、とりつく島もなかったという。

憲法,警察法及び最高裁判例から見て、重大な疑義のあることが、膨大な国家予算すなわち我々自身の税金から為されることに、そして誰もチェックをしようとしないことに、我々は非常な危機感を抱いた。今こそ我々自身の手で、Nシステム配備の実態を可能な限り明らかにすることが大切だと考えた。Nシステム及びその同類の本質は、手配車両や犯罪者のみの監視ではなく、コンピュータの特性からいやおうなく国民の車輛による移動全てを監視するシステムであることが明かであり、なおかつ行政官僚を制御すべき政治家もこの真実を洞察していないと言わざるを得なかった。「どうも、内閣が政治生命を賭けて取り組んでいるというようなことでは無い。実態を知らないまま、オウム事件追及の空気から『犯罪捜査の必要上』の言葉に何の疑惑もかけなくなってしまっているようだ」というのが我々の結論だった。官僚が、しかも逮捕拘束という実力を法によって与えられている警察機構が、平然と法を無視していることに震撼した。公開されている情報はあまりにも粗末であり、情報操作の跡がうかがえた。かくなる上は全国Nシステムリスト/マップの作成、つまり現場確認という地道な作業のプロセスの中で、当局のイメージする「Nシステム戦略」の全貌を具体的に把握するしかない、と考えた。北は北海道から南は沖縄まで、多くの方々の情報協力を得て現地まで「確認」に出かけ記録する作業が始まった。しかし高速道路網は全国にはりめぐらされ、国道も500路線を超える。一般国道や地方道の場合、どこに設置されているのか見当もつきにくい。日常、車で走っていると随所にNシステムがあることに気付くが、いざ探すとなると呆然とするほど日本は広かった。

辛うじてNシステム実用化の時点(86年ごろ)に“高速道や東京、大阪、名古屋を重点に”とか“県境付近などに”とか言った漠然とした表現での当局発表があったのをヒントにせざるを得なかった。

首都東京は政治の中心。
そしてNシステムのメッカでもあった。

我々は、当然ながら東京から調査を始めた。都内は情報提供者も多く、土地カンや足の便もあって短い期間に大勢をつかむことができた。すでに数年前から注意を払っていたことも役立った。もちろん、調査に動きまわれるメンバーは限られているので、95年のように急ピッチでNシステムの増設が進む中では、調査洩れもあるやも知れない。しかし、現状では我々の調査・分析もいちばん進んでいるのが東京地域なので、その中でいくつかの特徴や話題を記してみよう。

都内のNシステムの設置箇所は、我々の調べた限りでも80以上。機種では「一方向対応タイプ」つまり一つのアーチやアームに路線の片側だけに対応する装置をとりつけ、反対車線はフリーというものの比率が高い。しかも端末自体は旧タイプ、つまり車両検知器を備えカメラやストロボが大型筐体に内蔵されたものが多いのが特徴。

「一方向対応タイプ」は1路線の少し離れた2地点に上り・下り一対を設置し運用されている。また、新タイプのNシステムの比率が地方に比べてまだ低いこと、首都高速料金所などに塔型ボックスタイプのNシステムがいくつもある点などが特徴といえる。この塔型端末は、霞ヶ関の“23”“24”両入口などにいかめしく構えていて、ドライバーを一瞬ギョッとさせる。「料金踏み倒しの不届き者のためのカメラ」と思い込んでいた方も多いかと思うが、実はそうではない。

Nシステムの配置の特徴としては“下町偏在”があげられる。特に94年ごろまでは40箇所ほどの端末のうち、22箇所が東部8区に、6箇所が南部2区に設置されていた。

東部8区のNシステムは、成田闘争のために通過する過激派を監視・偵察するのが主たる任務だと言われていたが、この設置状況を見るとなるほどと思わせる。

南部のものは、羽田空港があるためと推測される。意外なのは、首都高4号線信濃町駅近くにある外苑料金所入口の緑に包まれてジッと潜んでいる塔型端末である。これはナゼ、こんな小さな入口にわざわざ?と考えさせるのである。外苑料金所から入る車両を監視記録する意図は何であろうか。

東京のように、Nシステム配備の数も多く設置の歴史も長い地域では、林立する中央高速八王子インターの端末や、八王子市内の4箇所の端末などにも、いろいろな意味が見えてくる。

つまり、ここにみられるNシステム配置の意味を説明するには、「盗難車両・手配車両の捜査」という建前的キーワードではダメで、警察機構ないし警察官僚の政治性という理解が必要であろう。政治家・政党に対しては「警備・公安の情報収集」と説明しているようであるが、仮に警備・公安の情報収集のためだけであっても、立法措置もとらず5千万ドライバー/車輛の移動を記録し監視下に置くなぞ、いわゆる西側国家では考えられなかったことである。

次に大阪府を見ると、96〜97年に急増し、40箇所を超えた。注目したいのは、関西国際空港線の海上橋のNシステムである。上り・下り別の場所に各3車線と路肩部までカバーしている。ここは空港以外への出入口はない専用自動車道である。関空へは盗難車・手配車で乗りつける者が多いとでも言うのだろうか。

なお、スケールの大きさを感じさせたのは、大阪環状2号線の東大阪市荒本付近のNシステム。なんと内・外廻り計10車線にズラリ10式の端末が並んでいる。ちなみに1箇所に多数の端末が集中しているのは、何といっても高速道の大きな料金所出入口だ。各車線に塔型端末が並んでいる料金所はいくつもあるが、場所によっては“不正車両”つまり料金フミタオシ等の車をブースからの操作で撮影するためのカメラとまぎらわしいので、それらは私たちのリストにも載せ切れていない。もっとも、料金所のカメラが道路管理者のものなのか警察のものなのかは、料金所の女性などは比較的簡単に教えてはくれた。これを契機に箝口令がひかれることは目に見えているが関係者はNシステムの運用実態を十分認識する必要があろう。日本には国民を対象とする秘密警察・政治警察は無いはずなのだから。

まず高速道路に配備。
重要戦略拠点にも。

ここでNシステムの全国配備状況を概観しておこう。配備箇所数を地方別にみると、関東7都県(特に東京)に最も集中しており、全国の40%を超えている。

続いては大阪を中心とする近畿6府県で全国比では5分の1。次に九州・沖縄の8県。東京、大阪に次いで多い県は埼玉・千葉で、続いて神奈川、愛知、兵庫、茨城、福岡までが2桁の設置数である。
東海・甲信7県。中国、四国、北陸、東北、北海道はほぼ同レベルで設置数は少ないといえる。しかしゼロという県はなかった。1桁設置の38道県の平均は約4箇所、その3分の2は高速道なので、地方での一般道のNシステムは各県約1.5箇所ということになる。

高速道についてのNシステムの全国配置はバランスがとれており、また地方にはまず高速道から配備されていることがよく分る。それに比べると一般道への配備には全国的一貫性のようなものは読みとれない。あくまで立て前は刑事警察の観点であるから県警それぞれの独自の方針を許さざるを得ないのかもしれない。

地方設置の例で、一見奇妙な場所に設置されている例をいくつか紹介してみよう。まず、茨城県。鹿島から国道51号線を鹿島灘沿いに北上したときのこと、鹿島郡大洋村で強風に砂の舞う向方にノッソリ、新タイプのNシステムが現れ、意表をつかれた。あとで地図を詳しく検討してみと、大洋村の先には大洗の原研があることに気づかされた。原子力関係施設といえば、大洗のさらに北には有名な東海村がある。

茨城県にはもう一つ、奇妙な場所にNシステムがある。つくば学園都市の中を貫く学園東通りである。治安上特に問題がある所でもない。我々も不思議に思ったが“ここには「高エネルギー物理学研究所」があるからだろう”と結論付けた。

また、先に述べた「成田」を抱える千葉県では東京と同様な旧タイプのNシステム端末が、古くから多数配置されていた。そして成田監視を兼ねて(?)いるのではと思われるのだが、自衛隊施設の近辺道路にNシステムが目立つ。習志野基地は見方によればその周囲の幹線道路全てに監視が行き届いているようだし、木更津への要路も同様だ。

ちょっと意外なのは、九十九里浜に近い茂原市の国道128号にNシステム(新タイプ)があることだろう。新タイプのN端末であるだけに成田との関係は薄い。南房総にももちろん重要地帯はあるだろうけれど、やはり不可解さがのこる。われわれの結論はこうだった。“この茂原と鴨川・木更津を結ぶ三角形の中のある場所には、知る人ぞ知る「大地下要塞」があるからだろう。”

自衛隊や米軍の重要施設の近くを選ぶように、Nシステムが配備されている傾向は、注意して見るとすぐ分かるはずだ。北海道、青森、神奈川、埼玉、栃木、愛知、徳島、山口、福岡、長崎などいくらでも挙げることができる。

以上の全国調査から我々は、Nシステムの分布を「手配車両発見のため」の視点だけでなく、「警備・公安の視座」から把握することが実態の正しい理解に至ると考えている。

主権者である国民は1つ重要な点に注目する必要があろう。

Nシステム及び警察管理下にある同様のシステムは、警備上の重要拠点の周囲にのみ設置されている訳ではなく、全国的車輛移動監視記録網として構築されているという点である。

警備の必要上、特定の拠点をスポット的に監視することとは全く異なる。

その中に見えかくれする『政治性』にはもっと注意が必要であろう。

警察庁はフーバー長官時代のFBIを目指しているように思えてならない。

この一連のシステムの整備によって、個人の行動も各種の団体・政党・組織の動静も逐一監視でき、ひいては行政当局による情報操作のため利用される恐れも逼迫している。

警察庁の異常ともいえる
ハイテク指向

最近の警察のハイテク志向は異常ですらある。道路交通関連に絞っても「運転免許証のICカード化」を急いでいるとか(‘96年3月27日付日刊自動車新聞など)「高速道路料金所でのノンストップ料金収受システム化」(日経産業新聞)が目前に迫っているとか、いったい料金徴収まで警察がサービスする必要があるのだろうか?

警察庁はNシステム及び同類の車両移動監視データーベースの戦略・全貌を「捜査上の秘密」を楯に情報公開をしていない。拒むが故に、憲法違反・警察法第2条違反も追及されず、警察官僚の恣意により運用され、誰も制御しえない状況が続いている。Nシステム及びその類いの記録・監視コンピュータシステムのカメラは、まず「画像情報」を捉える。犯罪者の情報を選択しているのではない、わたしたち自身のプライバシー情報である。

我々の調査を基に、国会議員各位におかれてはどうか国勢調査権をもって実態を究明していただきたい。警察の体質を考えれば真実を引き出すことは厚生省の比ではないことは容易に想像はつく。ところが警察内部においても運用に疑問を抱く職員が増えきているのだ。

実態解明の上、法治国家として適切な判断が下されることを期待する。